12月16日未来日記

12月16日の私

今日の私には大きな課題がある!

この日は、息子の担任の先生と個人面談。

この日は、何としてでも私の気持ちを先生に伝える。

冷静に伝える。

感情的にはなしてはならない、必要なこと、私の気持ちを冷静に伝える。

本当に個人的な私の感情なんだけれども、息子の担任の先生は、おそらく50代過ぎの教育熱心で、自己認知欲求の非常に強いおばさんだ。

また、残念なことに保護者の意見に対してとても敏感に反応し、決して言い負かされては行けない、という強い思いを抱えている女性なのだ。

そのため、私が意見を伝えようとすると、その話を遮り、あなたの息子さんは、非常に問題があると別の視点を持ち出し、そんな風にみんなを困らせる子の意見よりも、クラスのみんなに与えている影響の方が大きいという趣旨の発言をし出すのだ。

本来であれば、その状況になるのはどうしてなのか、理解するためにも保護者の意見を聞き、その後に、クラスでもこういう状況を抱えていて、家庭での問題と何かリンクすることがあるかもしれないし、どうしたら対応できるのか話し合うのが懇談会の趣旨ではないのか、と考える私には、担任の女性教諭のその話の進め方に辟易するばかりで、途中でめんどくさくなって、向き合うことをやめてしまうのだ。

でも、実は、そこには、私が気持ちを伝えれば相手も必ず分かってくれる、という私の思い込みがあり、受け入れられなかったらどうしよう、という私の恐怖を手放すために与えられている試練なのかもしれない。

だから、私が本心を打ち明けたところで彼女は私の気持ちを理解しないだろうし、理解する気も無いだろう。

それでも、いいから、私は私の気持ちを伝える。

だって、その方が自分がスッキリするから。

自分の思いは口に出した方が良い、ということに気がつけた私の次なるステップは、理解されなかったとしても私が私の気持ちを話すことなのだ。

だから、女性教諭がどうせあろうと、受け入れようと受け入れまいと、私は私の意見を言う、言いたいのだ、と私の気持ちをつたえることにあるのだ。

だから、今日、私は、自分の意見を言うと言うテーマを果たそうと思っている。

理解されるされない、という地点で迷うことをやめ、私は、私の意見を言う。

それだけのこと。

相手を非難するとか、否定するとかではなく、私がどう感じているのかを冷静に伝えること。

そして、伝えたことに対し、結果を求めない。

求めることは、私が自分の意見を言ってどんな気持ちになったのか、という自分への感情を知ること。

この目的を16日の私は果たす。

そして、ネクストドアを開くのだ。

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