塩屋俊と鈴木亮平の師弟愛がヤバイ!映画「ふたたび」秘話に涙腺崩壊!

今朝の「あさイチ」に鈴木亮平さんが出演してましたね!

そこで、亮平さんの人生を変えた人として、塩屋俊(しおやとし)さんについてお話されていたんですけど、この話に朝から涙が止まらずにヤバかったです。

そこで、塩屋さんのことや、感動秘話も紹介しますね!

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塩屋俊って、どんな人?

慶応義塾大学文学部教育学科卒業して、1994年に「塩屋俊アクターズクリニック」を設立して、自身の俳優業と並行して後進の育成に力を注いだ。2013年6月5日に急性大動脈解離のため56歳という若さでこの世を去る。

塩屋俊が育てた有名人

深田恭子さんや、向井理さん、相武紗季さん、木村佳乃さん、桐谷健太さんなど。

塩屋俊と鈴木亮平の出会い

亮平さんが所属する事務所(ホリプロ)のレッスンを担当していたのが塩屋俊さんのアクターズクリニックだった。

ちなみ、亮平さんって、俳優の前は水着モデルしていたんですよね。

さすがにお美しい肉体!「変態仮面」を思い出してしまいますが。

レッスンの最終日に校長先生だった塩屋俊さんが見に来てくれて、「君はイイから、ウチの学校へ来なさい」と言ってくれたそうです。

そこから、塩屋さんが企画していた映画の主役に抜擢するという話までもらうほど、目にかけてもらったのだとか。

結局、その企画が流れてそのときから5年経つまで、その話は成立しなかったけど、ホリプロ側も、塩屋さんが言うのだったら鈴木は良さそうだって言って、役者としての役をもらえるようになったのだそう。

塩屋俊の映画「ふたたび」とは?

亮平さんは、ジャズが大好きな大学2年生を演じたそうです。

そこへ、ハンセン病だった祖父が50年ぶりに現れ、祖父と共にかつての祖父のバンド仲間を探す旅に出るという話。

この映画の舞台挨拶でも塩屋さんは、鈴木亮平さんを愛弟子として紹介していたんですよね。

そして、映画「ふたたび」についてインタビューを受けた塩屋俊さんは、亮平さんについて、このように語ったのだとか。

主人公の孫を演じる鈴木亮平は、僕が主宰するアクターズクリニックで教えてきた愛弟子。

彼を最初に見た瞬間、何年かにひとりの逸材だと思いました。

いまどきの俳優ってイケメンで細身でしょ。あいつは骨太の日本男児だから(笑)。

幅のある演技ができる役者を育てることも、日本映画のために僕がやるべき仕事なんです。

http://salitoe.jp/people/interview003-2.html

塩屋俊が鈴木亮平に守った約束

映画「ふたたび」は、公開にいたるまでに紆余曲折あり、1度クランクイン直前にこの映画の企画がキャンセルされたそう。

その映画で主演を務めるはずだった亮平さんは、そのことを知り、大きな体が半分になるほど小さくなったように見え、亮平さんの悲しそうな顔を見るのがとてもツラくて、絶対に、リターンマッチをしようと心に誓い、映画「ふたたび」を公開させてやるんだ、と頑張ったんですって。

企画から公開に至るまでの5年の日々と塩屋さんの亮平さんに対する熱い想いが伝わってきますね。

そのエピソードを有働アナに語られ、「あさイチ」で亮平さんの涙が止まらない姿が、見ているこちらも感動させられました。

有働アナも、「家族以外で自分を見てくれて、その人に対し、恥ずかしくない仕事をしたいと思えるってスゴイことですよね」と。

鈴木亮平が「花子とアン」のオーディションに受かったワケ

鈴木亮平さんにとっては、塩屋さんは東京の父親みたいな存在だったそう。

そんな塩屋さんが2013年の6月5日に病院で亡くなった3日後に、「花子とアン」のオーディションだったそう。

とても、お芝居をする気持ちになれず、でも、オーディション会場に行き、そこで出されたお題が「自分が死んでいくことを愛する人に手紙で伝える」という内容で、その瞬間、塩屋さんが亮平さんに語りかけているような、不思議な感覚を覚え、その役になりきることができたのだそう。

もしかしたら、塩屋さんが亮平さんをこの役に導いてくれたのかもしれない、僕のためにこの役はあるのかもしれないと、オーディションの時に考えるほどだったんですって。

それから、塩屋さんに、守られている気がする、今も、塩屋さんと一緒にキャリアを重ねさせてもらっているような感覚でお芝居をしているのだとか。
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鈴木亮平が語る塩屋俊

鈴木亮平さんが、塩屋俊さんが亡くなってから1年後にブログに投稿した内容です。
去年の今日、僕は仙台で、塩屋俊(しおやとし)さんが主催する舞台「HIKOBAE(ヒコバエ)」の千秋楽を迎えていました。
しかし、本番の四時間前、楽屋で塩屋さんが倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
塩屋俊さんは、ご自身も国内外で活躍されていた俳優で、その後「世界に通用する俳優を育てたい」という思いから演技学校アクターズクリニックを設立し、若手の育成に努めるとともに、監督・プロデューサーとして『ふたたび Swing me Again』『種まく旅人 ~みのりの茶~』など、数々の作品を世に送り出しました。
色々な顔を持ち、それぞれの分野で大きな功績を残した塩屋さんですが、僕にとっては自分に演技を教えこんでくれた恩師であり、卒業後もいつも飯に連れて行ってくれる、東京で唯一父と呼べる存在でした。演技や仕事の方向性に悩んだときはいつも相談し、そのたび貴重なアドバイスをいただきました。いくら感謝してもしきれません。
彼は亡くなりましたが、塩屋さんがアクターズクリニックで撒いた夢の種は、現在進行形でたくさん育っていて、これからもさらに花を咲かせていくはずです。生徒の中には、すでに皆さんが名前を知っているだろう若手俳優もたくさんいます。
僕らが頑張ることで塩屋さんの夢が叶っていくのだと考えれば、彼がこの世界にいない悲しみにも立ち向かえる気がしています。
そして、僕たち俳優が演技と向き合い、舞台やカメラの前に立ち続けられる裏には、塩屋俊さんのような大きな存在がいるということも、皆さんに知っていただけたら幸いです。
2014年6月5日
塩屋さんの思い出とともに

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